2009年04月23日
サン・ルイス歴史地区
São Luís / Maranhão
サン・ルイス歴史地区 (1997年 文化遺産登録)
今から約400年前の1612年、ダニエル・デ・ラ・トゥーシェ率いるフランス軍は、この地に要塞を作ります。ルイ4世、そして当時の国王であったルイ8世に敬意を表し、サン・ルイスと名付けられたこの要塞の誕生により、この街は産声を上げたのです。フランス軍はしかし、3年後の1615年、ジェロニモ・デ・アルブケルケ率いるポルトガル軍との戦いに敗れ、サン・ルイスから撤退します。また、1641年から1644年までの3年間この地を支配下に置いたのはオランダでしたが、その後、再びポルトガルが実権を握ります。
支配国の変遷は、サン・ルイスの文化的な土壌に肥沃さを与えていきました。かつてから居住していた原住民、そして支配国であったフランス、オランダ、ポルトガル、また後に奴隷がもたらしたアフリカといったそれぞれの文化的要素が混交していったのです。
この街が誇る町並みの景観にも、その文化の形を見ることができます。世界遺産に指定された220ヘクタールに及ぶ歴史地区内には、3,500軒ものコロニアル様式の建物が立ち並んでいます。細工が施されたバルコニーつきの邸宅が数多く見受けられます。ポルトガルの陶磁器タイルであるアズレージョによる贅沢な装飾が特徴的であることから、「アズレージョの街」とも称されています。補修・修復により建物は保存され、1689年に建築された市役所は、現在でも利用されています。
美しい町並みは、この都市の経済が活況を呈していた往時を映し出すものでもあります。ポルトガルがオランダから実権を奪い返した頃のサン・ルイスは、サトウキビやカカオ、タバコの栽培と輸出によって、また1860年頃には、南北戦争で混乱するアメリカに代わりイギリスへ綿花を供給することで栄え、潤っていました。こうした貿易で得られた利益は、近代化を進めるための施設や、街に彩りを添える豪華な家々の建築のために利用されたのです。この頃サン・ルイスは、国内で3番目に人口の多い都市となるなど著しい発展を遂げていました。この成長は、この地の農業が衰退し、経済的豊かさに陰りが見え始めた19世紀末まで続きました。
サン・ルイスを代表する民衆文化といえば、ブンバ・メウ・ボイが挙げられます。6月になるとブラジル各地では、聖アントニオ、聖ヨハネ、聖ペドロの3聖人に捧げた、民衆的なフェスタ(フェスタ・ジュニーナ)が行われます。マラニャン州では、地域最大のフェスタでもあるブンバ・メウ・ボイがこれにあたります。ブンバ・メウ・ボイは、ポルトガルに起源を持ち、その後、様々な国の要素が取り入れられて作られた民衆劇。「雄牛の死と再生」が、色とりどりの衣装を着た人々により演じられます。現在では、国内有数の工業地帯も有する都市へと変貌したサン・ルイス。働きやすい都市の上位にもランクインしています。多くの詩人たちに「愛の島」と称賛されてきた芸術的な街の風景だけは、今も昔も変わりません。
リンク
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